@article{oai:niigata-u.repo.nii.ac.jp:00006155, author = {Araki, Wakako}, journal = {19世紀学研究, 19世紀学研究}, month = {Mar}, note = {本論文は、19世紀半ばのアメリカ合衆国南部において、奴隷解放をきっかけとして展開された解放民教育が、近代公教育制度確立過程において重要な役割を果たしたことについて、サウス・カロライナ州ビューフォート郡のペン解放民学校と黒人議員ロバート・スモールズを事例として考察したアメリカ・社会史研究である。ペン解放民学校は南北戦争中の1862年に設立され、南部における初期の黒人学校としてパイオニア的な役割を担ったが、サウス・カロライナ州の公教育制度確立過程においても大きな貢献をなした。またペン解放民学校の所在地であるビューフォート郡は、解放民のヒーローである黒人議員ロバート・スモールズが奴隷として生まれ、逃亡し、戻って元奴隷主の邸宅を購入して生涯所有し、亡くなり、埋葬された地でもあった。スモールズは1868年の憲法制定会議において、アメリカ合衆国南部における最初期の(人種・性別の如何にかかわらず全児童を対象とした)無償の公教育制度の義務化を主張して以来、生涯一貫して公教育の制度化を訴えた。, 本論文は、ペン学校とスモールズの接点とその意味についても考察している。再建の反動として、KKKや南部白人の旧奴隷主等が黒人の教育機会や政治的権利の剥奪を企図したことにより、サウス・カロライナ州における公立学校やペン学校も閉鎖の危機に直面し、またスモールズも活躍の場を制限された。しかしながら、カリキュラムなど形を変えつつペン学校は生き残り、ペン学校自体は私立学校でありながら州内の公教育の普及の際の核として20世紀半ばまで学校運営を続けた。20世紀半ばに、ペン学校は閉鎖されたが、コミュニティ・センターとして設立当初から現在まで、広義の公教育に貢献してきたといえる。このように、奴隷時代に教育を禁止された解放民が学校教育を熱望し、教育を支援する北部出身の白人女性教師等の助けを得て、解放民局など連邦政府から教育の資金を獲得し、教育の価値を理解していたスモールズのような黒人議員が地方政治の場においても公立学校制度の必要性を訴え、反動の煽りを受けながらも学校を支え続けたことが、19世紀アメリカ合衆国南部における公教育制度確立に大きく貢献したといえる。}, pages = {119--145}, title = {Freedpeople's Education and its Role in the Establishment of the Modern Public Educational System in the U.S. South during the Nineteenth Century : The Case of the Penn School and Robert Smalls in Beaufort County, South Carolina}, volume = {6}, year = {2012} }