@article{oai:niigata-u.repo.nii.ac.jp:00033853, author = {Kuwahara, Satoshi}, issue = {11}, journal = {19世紀学研究}, month = {Mar}, note = {クンストカマーは、ルネサンス、バロックの時代にヨーロッパ各地で流行した蒐集キャビネットである。それは、近代科学の影響のもと成立した18世紀末のミュージアムとともに忘れ去られた。従来クンストカマーは(近代科学的)分類の存在しない雑多なコレクションと理解されていたが、1980年代頃から学問史における知の変容を解明する研究によってそれが蒐集物の無限の組み合わせを観る者に可能にすることによって宇宙を再現し全体知を目指すコレクションであり、その背後にはマクロコスモスとミクロコスモスの照応関係というピュタゴラスに由来する「前近代的」考え方と、G.ブルーノ以後の、宇宙の無限という「近代的」思想が混交していたことが判っている。ところで18世紀末、ちょうどミュージアムがクンストカマーに取って代わる頃、ドイツにおいてクンストカマーが意識的に取り上げられていた事実には今まで注目されてこなかった。本論攷ではノヴァーリスとジャン・パウルに現れるクンストカマー受容を分析し、それが断片化する世界の中において「楽園」を表徴するものとして理解されていたことを明らかにする。同時にクンストカマー受容に二つの型があったことを示す。ノヴァーリスは1798年秋から99年春にかけて記された「一般草稿 ― 百科全書学のための資料集 ―」929番の断片において「体系」に替わる「真の体系」としての「理念の楽園 IdeenParadies」について語る。それは一点を頂上に頂くピラミッド型ではなく、すべての「理念」が共存するものとして表象されているように思われる。興味深いことにそれは植物の比喩をもって語られている。一つ一つの理念に「それ独自の土壌」を、「気候」、「手入れ」、「隣人」を与える必要があると言い、「楽園は大地の理想である」と述べる。この「理念の楽園」はこうして地上の楽園のアナロジーと考えられるのである。ノヴァーリスはクンストカマー概念を宇宙の全体性を再現する理念と理解している。ジャン・パウルは、『見えないロッジ』(1792)とその付録として書き加えられた「アウエンタールでご満悦だった学校の先生マリア・ヴッツの生涯」でクンストカマーに触れている。現実の世界を支配している不調和=世界の断片化と、「楽園」としての無限なる「自然」が顕現する「第二の世界」の対立はジャン・パウルの、未完に終わった、処女長編小説である『見えないロッジ』においても顕著である。『見えないロッジ』においてクンストカマーが世界の断片化の象徴として描かれるのに対して、「ヴッツ」ではそれは、「彼の遊んで過ごした幼年時代の破片でありなれの果て」から成り立っているものの彼の幼年時代の「楽園」を想起させる貴重なものとして描かれている。この作品には「一種の牧歌」という副題が与えられている。シラーの定義によれば『見えないロッジ』の「悲歌」「風刺」調に対して「ヴッツ」の「牧歌」調はまさに失われた「幼年時代」=「楽園」を示すものである。こうして18世紀末に現れたクンストカマー受容の二つの型は、楽園喪失の時代にあって全体性の回復としての楽園を未来に向かって指し示すクンストカマー(ノヴァーリス)と失われた楽園を想起させるクンストカマー(ジャン・パウル)の二つの方向を示している。クンストカマーのこの二つの型は現代においても受け継がれており、一つは「フンボルト・フォーラム」において、またもう一つはオルハン・パムクの『無垢の博物館』においてクンストカマー概念の可能性が追求されているのである。}, pages = {5--16}, title = {Der Begriff der Kunstkammer bei Novalis und Jean Paul}, year = {2017} }