@article{oai:niigata-u.repo.nii.ac.jp:00029171, author = {朱, 継征}, journal = {大学教育研究年報, 大学教育研究年報}, month = {Mar}, note = {動詞の後の“完”と“過”は意味論上(意味的に〉どちらも動作の完了を表すことができるし、また、これらは文法上に置き換えることができる。このため、多くの文法学者は“完” 過”をどちらも動作の完了を表す動相形式であるとしている。しかし、この両者は、文中において置き換えることができない場合もある。つまりこの両者は、文法上ある要因によって制約されており、意味論的にも違いがあることが分かる。この両者が文法上制約される要因、及び意味論上の相違点については、まだ詳細に論述したものがないようである。本研究では次のように指摘する。“~完”は、線状程の(ある)動作の完了を表し、“~過”は、独立したでき事としての動作の完了を表す。よって、その動作の線状過程を示す要素のある文、或いは脈絡の中では、“~完”しか使うことができず、また動作を、独立したでき事と見なす文、或いは脈絡の中では、“~過”しか使えない。その動作の線状過程を示す要素もなく、独立したでき事を示す要素もない文、或いは脈絡においてのみ、“完”と“過”を置き換えることができるのである。置き換えができる状況においても、この両者が動作の完了を表す場合、その暗に含まれている意味とそこから派生した意味には、たくさんの微妙な相違点があるのである。 本稿では、“完”と“過”が文法上制約される要因およびこの両者の意味論上の細かい相違点を明らかにする。}, pages = {19--23}, title = {完了相の教え方について : “~完”と“~過”の文法的使い分けと意味的分析を中心に(授業研究・教材開発(プロジェクト経費報告書))}, volume = {13}, year = {2009} }